「まとめノート」は作るな――『東大合格生のノートはかならず美しい』への反論

要約

東大合格生のノートはかならず美しい』への反論。受験生に捧げる。

  • 大事なことは教科書に書け。
  • 「まとめノート」を作る暇があったら問題集を解いた方がよい。

説明

東大合格生のノートはかならず美しい

東大合格生のノートはかならず美しい

東大合格生のノートはかならず美しい』が人気である。たしかに私もノートをとるときは行の頭を適宜そろえるようにしている。コクヨの商品開発もいいところに目をつけたと思う。しかし同時に,本書の説くところは私のやり方と正反対の部分があって,書店で平積みされているのを見るにつけ「そうじゃないんだよ!」という気持ちが収まらず,このようなおせっかいな記事を書くに至った。
(先におことわり2つ。申し訳ないが本書自体は立ち読み程度である。誤解があればよく読んでいなかった私の責任である。また,本書はコクヨの販売戦略の一環でもあるのだろう。しかし,そうであればなおさら対案を示したいのである。)
何が問題かというと,「まとめノート」作りを奨励しているところである*1。私は「まとめノート/ノート作り」なる言葉は虫酸が走るほど嫌いで,「まとめノート(笑)」と書きたいくらいである。言いたいのは次の2つ。

  • まとめノート作りはよほど几帳面な人間でないかぎり挫折する。単語カード作りなどと同じ。もう全然続かない。
  • まとめノートを作るより記述問題でも解いた方が覚えられる。頭を使うし,間違ったりしてガツンとストレスがかかるからだと思う。ノート作りは外からの刺激がないので,手間のわりに甘っちょろい。

だから,こんな時期にいうのも何だが,几帳面でない受験生におかれては「まとめノート」を作るより

  • 大事なことは教科書に直接書き込む
  • 問題集を解く

というやり方をおすすめする。私も単語カードやまとめノートはてんで続かない人間だったが,これで東大に入れたのでそんなに間違ってもいないはずである*2
ちなみに教科書にぐちゃぐちゃ書き込むのには抵抗がある人もいるかもしれないが,やってみると割と楽しい。

その背景

高校のときの担任(数学担当)の口癖で

「大事なことは教科書に書け」
「教科書を読んでる時間でもなく,ノートにまとめている時間でもなく,問題を解いている時間だけが「勉強時間」だ」

というのがあって,いまでも強烈に覚えている。
前者については,ノートは失くすから,ということだった。私は失くしはしなかったが,それ以外にも「情報が1ヶ所に集まる」「何度も何度も教科書を見るのでいやでも頭に入る」という利点があるので全部教科書に書いた。だいたい,教科書に書いてあることをわざわざノートにも書くという手間がどうにも耐えられなかった(板書はともかく)。これは今でもそうで,とにかく「ただ書き写す」という作業は1文字たりともやりたくない。大嫌い。このノート本には手間をはぶく方法として「写す必要のないものはコピー」というのがあったが,直接書きゃいいだろと思う。
後者は主に数学についての話で,耳が痛いというか……私はたくさん問題を解いたというわけではない。それでもぼけっと何かを読むより問題を解くほうがいろいろなものが身につくことだけはたしかである。

意地でも教科書を使ったという話(個人的な思い出)

とくに,苦手だった世界史は教科書のほとんどのページに何かしら書き込みがある。歴史が嫌いなのになぜか「世界史&日本史」という面倒くさいパターンを選んでしまった自分も悪いのだが。ああ,いやな思い出だなあ。高校時代のノートなど全部捨ててもまったく惜しくはないが,世界史と日本史の教科書,世界史の論述問題集,地学の問題集「リードα」*3は愛着があって捨てられない。
世界史の教科書は現実的な問題としてたとえば「中国史がすごく飛び飛びに書いてあって使いにくい」というのがある。こういうのはノートにひとまとめに書いた方が分かりやすそうだが,私はなかば意地になってなるべく教科書を使おうとした。飛び飛びであっても内容そのものに抜けがあるわけではないので,つなげて読めばいいのである。だから中国史の部分だけ決まった色で囲んでいって,最初に「これは何ページの続きか」,最後に「次は何ページに飛ぶのか」を書き込んだ。
バカバカしいといえばそれまでで,この方法がいいとは限らない。もちろん教科書でどうにもならないならノートにまとめればよい。ただ私はとにかく教科書を何度も見て少しでも頭に入れたかったのである。嫌いなものは頭に入らないもんで*4,入学と同時に忘却の一途をたどったが,今でも覚えている図版がいくつかある。
また,論述問題集にはお世話になった。あれは単純な記憶にもけっこう効いた。分からなかったら教科書見て解いてもいい。

補足

1つめ。例のノートの能書きにこういうのがあるが,

これはダメである。数学のノートで定規を使ったりドットに頼ったりしてはいけない。なぜなら肝心の試験では定規が使えないし用紙にドットも打ってないからである。手書きで書く練習をしなければならない(だから無地のノートがいい)。これも担任が言っていた。
2つめ。これはあたりまえのことだが,東大合格生のノートが美しいのは中身が理解できているからであってその逆ではない。それを踏まえてか,このノート本では「まず形から入って,だんだんに自分のスタイルを作ろう」と言っているが,それならば上に述べた「アンチ・ノート術」だって試してみてほしい。

まとめ

  • 大事なことは教科書に書け。
  • 「まとめノート」を作る暇があったら問題集を解いた方がよい。

そして東大生はいくつになっても受験の話になると饒舌で気持ち悪いのだった。

*1:板書のとり方とかについてはとくに異論はない

*2:ちなみに田舎の公立高校。近くに予備校もない(模擬試験は学校で受けたが)。2次試験対策は全教科,それぞれ担当の先生に個人添削をしてもらった。ものすごくありがたかった。

*3:地学が好きだった。うちの高校が選んだ教科書がヘボだったのでこれを教科書代わりに使った。

*4:ところで「手を動かせば頭に入る」と言うが,疑問である。私の感覚では「好きなものは何もしなくとも頭に入り,嫌いなものはどうやっても頭に入らない」。