震災とメディアと情報

今回の震災で,安否情報や地震そのものの情報を得るために,Twitterを中心としてネットメディアをわりとヘビーに利用した。この1週間で思ったことをいくつか断片的に書いておく。

ネットで安否を確認する

母と祖父の安否がすぐに分からなかったこともあり,地震直後の数日はいろいろと情報収集をした。といっても電話がつながらないので,Twitterを注視していた。どれだけ信頼性があるものか試す意味もあった。私のアクションは次の2つ。

  • 安否を知りたいというツイートを「RT希望」する。恥ずかしかった。
  • 勤務先や入居施設の名前で検索する。Twitterの検索とGoogleの「リアルタイム検索」を使用。

前者については,ある人から手がかりとなりそうなツイートを教えてもらった。後者については,それらしい情報を発見し,結果的に母と祖父の実際の避難状況とも符合していた。情報に大きな信頼を置いているわけではないので「符合」などという言葉を使う,まあそれくらいの距離感ではある。私のような立場に置かれた場合には,Twitterは「かなり使える」というのが率直な感想。

冷静になるのは難しい

震災のこの状況で冷静に発言を行うのは難しいと思った。私も真偽のほどが分からないものをリツイートしてしまったかもしれない。あとで見て消している。Twitterはわりあい衝動的に発言できてしまう媒体なので,ゴミ情報が多い。私自身は,なるべく冷静な発言を読みたいし書きたい。ただ一般的にどうかというと,発言者にとってTwitterが衝動のはけ口になるならそれはそれでいいんじゃないかという気もする(暴言が人を傷つけるという問題があるが,それはまた別の話)。そういう意味では,本人にとってはゴミじゃないのだ。情報としてはたぶんゴミだが。読者としては,ゴミのないTwitterを望むよりも,「価値のない情報が山のようにある」ことを積極的に認め,フィルタリングした方が早い。

餅は餅屋

文系の(と,あえてこういうカテゴライズをさせていただく)研究者やジャーナリストが原発の安全性みたいなことについて独自の見解を披瀝するのは,あれはなんだ。正直言ってまったく信憑性がない。自分の専門分野に門外漢が口を出したら腹を立てるくせに……。