地震の話

3月11日,職場で地震に遭う。両面コピーの片面を読み込ませたところで建物が大きく揺れはじめ,身をかがめた。誰かがテレビをつけたら,私の地元のすぐ近くで震度7だという。来る来ると言われていた宮城県沖地震がついに来たか。実家に電話をかけたが全くつながらない。コピー機は裏面の読み込みを待ちくたびれて,表面だけで紙を吐き出した。津波の映像に絶句する。
公衆電話ならすぐにつながるという話を聞いて,近所の公衆電話へ向かう。テレホンカードでかけている人が何人かいて驚いた。実家の固定電話にかけたらなんと一発でつながった。祖母は無事だった。ちょうど東京から叔父が帰っていて,足止めを食っていた。家族は私以外みな宮城県にいるが,いろんな事情で1人1人住まいが別だ。祖母以外は連絡が取れなかった。
電車が軒並み止まってしまったため,職場に泊まれることになった。しかし午後11時を過ぎて,いくつかの路線が動いているとの情報。職場はテレビがずっとついていて精神衛生上よろしくない。携帯の電池もあまりない。逡巡のすえ帰ることにした。比較的すんなり乗り換えができたが,新御茶ノ水駅から北千住方面に行けなかった。丸ノ内線霞ヶ関へ行き,日比谷線で三ノ輪……の予定が,人形町で折り返しのためそこで下車。タクシーもつかまらず,小伝馬町まで歩く。そしたら日比谷線が上野まで動くというので,上野まで乗る。そこで完全に足がなくなった。午前3時である。上野の地下鉄の駅で2時間ほどボーッとする。京成が動くかと思ったら動かず,日比谷線で三ノ輪まで行って30分ほど歩いて,午前6時に帰宅した。
その後は,安否の確認をすべくテレビとTwitterにかじりついていた。3月12日,弟には電話が通じた。3月13日,祖父について,入居中の介護老人保健施設で無事を確認したと叔父から連絡があった。3月15日,母が無事との情報を現地のボランティアの方から電話でもらった。これでやっと家族全員の無事が分かった。