『ドン・キホーテ』はもっと読まれていい

原作をもっといろんな人に読んでもらいたいので私の好きなエピソードを紹介する。曲にも出てくるが(ウィンドマシーンを使うところ),空飛ぶ木馬の冒険というのがある。有名な風車の冒険に比べるとマイナーだが,単純で面白い。

[...]そのとき不意に,緑色の蔦をまとった野蛮人風の男が四人,大きな木馬を担いで庭に入ってきたのである。そして,木馬を地面におろすと,野蛮人の一人がこう言った――
「そうする勇気のある騎士は,この絡繰{からくり}に乗られよ。」
「そういうことなら」と,サンチョが言った,「おいらは乗らねえよ。こちとらは勇気もねえし,騎士でもねえからね。」
しかし,野蛮人が言葉を続けた――
「もしその騎士に従士があれば,それを馬の尻に乗せるがよい。[...]この馬の操縦は,首の上にとりつけられた木栓を動かすだけでよい。そうすれば,この馬が天を駆け,マランブルーノの待ちうけるところへ運んでいってくれるだろう。ただし,飛行の高さや天の広大さゆえに目まいを起こすといけないので,馬が大きくいななくまで,目に覆いをしていなければならない。そのいななきが旅の終わりを示す合図となるであろう。」
〔中略〕
かくして二人の目隠しも終り,ドン・キホーテは出発の準備がととのったと判断したので目の前の木栓に手をかけてみた。彼の指が木栓に触れるやいなや,老女たちをはじめとする庭にいあわせたすべての者がいっせいに声をあげ,口々に叫んだ――
「神に導かれていらっしゃいよ,勇敢な騎士様……!」
「神のご加護がありますように,豪胆な従士さあん……!」
[...]
こうした声を耳にしたサンチョは,両腕を主人の体にまわして,しがみつきながら,こう言った――
「旦那様,あの連中の声がここまではっきり聞こえ,まるで,わしらのすぐそばで叫んでるとしか思えねえのに,わしらが空高く飛んでるなんて言ってるのは,どうしたことですかね?」
「その点はあまり気にかけぬことじゃ,サンチョ。なにしろ,この種のことやこの空中飛行というのは尋常一般の道から大きくそれているのであってみれば,千レグアも離れたところから,おまえが好きなことを見たり聞いたりしてもおかしくはないのじゃ。[...]」

ようするにぜんぜん空は飛んでいないわけだが,まわりの仕掛け人たちはちゃんと示し合わせて台詞を言ったり風を送ったりしており,ドン・キホーテは はなから飛んでいると信じ込んでいる。

こうして十分に楽しんだ彼ら〔引用者注:仕組んだ者たち〕は,この奇妙きてれつな,しかし実に巧みに仕組まれた冒険に結末をつけようと思い,クラビレーニョ〔引用者注:木馬の名〕のしっぽに麻くずを用いて火をつけた。すると,木馬の腹の中には爆竹がいっぱい詰まっていたものだから,馬は途端に,異様な大音響を発して宙にふっ飛び,ドン・キホーテとサンチョは体じゅう,ほとんど焦げたような状態になって地面に叩きつけられてしまった。
[...]〔庭の片隅の地面に長い槍が突き立てられており,白くて滑らかな羊皮紙がつり下げられていた。〕この羊皮紙には,大きな金文字で次のようなことが書かれていたのである――

その名も高き騎士,ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャは,トリファルディ伯爵夫人,またの名《苦悩の老女》とその仲間の冒険を,ただ単にそれを意図せしことによりて終らせ,完遂したり。
[...]

セルバンテス(牛島信明訳)『ドン・キホーテ 後篇(2)』,第41章「木馬クラビレーニョの到来,および,長々と続いたこの冒険の結末について」)

略した細部もいちいち気が利いていてばかばかしいのです。