ATOK2009 for Macの紹介記事が悪文

Mac版ATOK2009の紹介記事。ATOK2009で書いているそうなのだが,ATOKも悪文までは直してくれないようだ。誰も読まずに掲載しているのだろうか。申し訳ないが私が違和感を覚える部分を執拗に指摘させていただく。

と言うのも、長文であっても一発で正しい変換が可能な精度の高い文字変換能力、そして、「ATOK 単語登録」や読みの判らない文字であっても変換を可能にする「手書き文字入力」、プライベートで利用する機会も多い「顔文字パレット」などがズラリと並べられたツールバーの使い勝手の良さは年を重ねる事にブラッシュアップされ高い機能性・利便性を実現している。

▲なんだなんだ。どうもこういうことらしい:

「(1),そして,((2)の使い勝手の良さ)」
(1)=長文であっても一発で正しい変換が可能な精度の高い文字変換能力
(2)=(「ATOK 単語登録」や読みの判らない文字であっても変換を可能にする「手書き文字入力」、プライベートで利用する機会も多い「顔文字パレット」など)がズラリと並べられたツールバー

「事に」は「毎に」だろう。

変換の能力を試すのに、よく知られるこの言葉。

▲「よく知られる」→「よく使われる」。

正直「む?!」と唸ってしまうほど後半部分の文章の変換には「もっとがんばりましょう」な印象を受けた。

▲「「もっとがんばりましょう」な印象」て。それと「?」が半角で「!」が全角だ。

ATOK 2009 for Mac」では文脈や文章の流れに応じて最適な文言へと変換するため、例えば「内蔵」と「内臓」といった同音異義語での誤変換が生じにくいのだ。

▲しかし直前の例を見る限り,ことえりでも「内蔵」になっている。

せっかくのビジネスチャンスをたったひとつの誤字で不意にすることにもなり兼ねない。

▲各種辞書によれば「ふいにする」は「不意」とは異なるもよう。私のATOKでは「不意にする」も出るがこれは「ふいにする」とは異なる意味合いで候補になっていると思われる。「なり兼ねない」は「なりかねない」が普通。

これは"できる"ビジネスパーソンには必須の条件なのは言うまでもないだろう。

▲「は」が多くてどうにもこうにもすっきりしない。

もちろん、その文言の意味も辞書機能で解説・理解でき、ワンランク上の表現を使いこなして熟達した日本語表現を可能にしてくれるポイントも「ATOK 2009 for Mac」の大きな特徴のひとつと言えるだろう。

▲「解説・理解でき」の「解説」の主語は辞書機能,「理解でき」は書き手。「使いこなして」の主語は書き手,「可能にしてくれる」はATOK。ううう。

また、文言を入力、変換した時点で、「control+2」で人名変換、「control+3」で郵便番号から住所への変換、「control+4」で顔文字への変換ができ、従来であれば変換のために何度もspaceキーを押下しなければならないところを、「controlキー」と任意のキーでショートカットして変換することが可能となり、文言入力に対する時間の圧縮・効率化を実現できる。

▲長い。さっきから思っているのだが,こういうとき「文言」って言うだろうか。「文章」あたりが普通ではないか。

また、Windows版でも注目を集めその実力が高い支持を受けた「英語入力支援 ATOK for E」による、英文をスムーズに入力できる機能が盛り込まれていることにも目を向けたい。

▲長くはないが2文に分けてほしい。

加えて、「ら抜き言葉」や尊敬語と謙譲語が入り交じっているよくありがちな誤った文章なども、「ATOK 2009 for Mac」では的確に指摘してくれ正しい日本語に修正することも可能だ。例えば「みれる」や「お会いしていただけますか」といった日常でつい使ってしまいがちな誤った言葉遣いも鋭く指摘してくれる。

▲「よくありがちな」が出たすぐあとにまた「日常でつい使ってしまいがちな」とくるのはダブっている。「的確に指摘してくれ」とあるが,「〜てくれる」の連用中止はあまり使わないなあ。「みれる」はここでは「見れる」と漢字にするのが普通だろう。

その指摘の的確さと鋭さは、まるで専属の国語教師や英語教師が隣にいるかの如く頼もしい。

▲日本語として不自然ではないのだが,専属の国語教師って何だ……。

ショートカットに慣れてない人でも数秒はかからないし、身につけてしまえば、"秒"をも超えてしまうわけだ。

▲「慣れてない」は「慣れていない」がベターでは(ATOKは指摘しない)。秒以下になることを「秒」を「超える」とするのはおかしい感じがする。

正しい日本語で、かつ美しい文体や文脈をこともなげに紡ぎ出すことを可能なものにしてくれる頼もしいパートナー

▲うひい。「こともなげに〜することが{可能/できる}」,というつながりはおかしい(例,「彼はホームランをこともなげに打つ」→「? 彼はホームランをこともなげに打つことができる」)。「可能なもの」の「もの」も不要である。しかもこの文章を読むかぎり「美しい文体や文脈をこともなげに紡ぎ出す」ことはできそうにない。類語辞典があっても文体や文脈までは作れない。私なら「豊富な語彙を使い,かつ正しい日本語で文章が作成できる」ぐらいにするところ。