マネする対象がほしい

賛成だなあ。いくつか思うところがあったので書く。

「模範的な絵」「模範的な作文」も見せて欲しかった。そしてそれのどこがどう「正解」なのか。

もっと学校で、テクニックを教えてくれればよかったのに

あと体育も、言及してる人いるけど、「走り方」とか教えるべきだね。

もっと学校で、テクニックを教えてくれればよかったのに

これはほんとうにそうだ。学校の先生にはマネする対象を示してほしい(先生が実演しなくてもいいので)。なにごともマネするのが近道。私はアマチュアトロンボーンを吹いたりしているけど,うまいなーと思った人がいたら,こっそり,かつ,常に観察して,がんばってマネする。これにつきる。
読書感想文に関しては,私も何を書いていいのか分からなかったクチである*1。「受けが良さそうな感じで書く」ということができるほどマセてもいなかった。しかも,私の祖母(もと小学校の先生)だったか母(中学校の国語の先生)だったか忘れたが,「あれは先生が{読むために/読みたくて}書かせてるものだからねえ」と言ってて,ああ,無意味なんだなあ,と思った。

先生は、「そういう小手先のテクニックじゃなくて、気持ちをこめて、子供らしいおおらかな絵を描くのが一番いいんだよ」とか言う。正直、わけがわからん。

もっと学校で、テクニックを教えてくれればよかったのに

私はどうだったか,小学校時代はだいぶまえの話だからディテールを忘れてしまっている。このとおりだとすれば,なんだかすごく日本的なものを感じる。理屈を嫌う文化だと思うのだ。こんなふうに漠然とした印象で文化を語るのは良くないと,分かってはいるのだが,それでも言いたくなっちゃうのだ。「もののあはれ」なんて最たるものじゃないですか。その雲をつかむような,それはいったい何だ。でも一方で,もののあはれ的なものには,共感したりしちゃうんだな。つまり,描き方を教えているようで,実は「子供らしいおおらかな絵」を先生が見たいだけなんじゃないか。
いっぽうでこういう意見

俺が言いたいのは、増田がモチベーションを維持できた(はず、と言い訳している)方法ではモチベーションをあっさり失うやつがいるってこと。

http://anond.hatelabo.jp/20080824112727

もあって,ちょっと考えさせられるところ。私としてはやはり具体的な方がやる気が出るのだが。

*1:そもそも今日にいたるまで,まとまった文章が書けるほどの感想を抱いた本なんてそんなにない