学問には無駄がつきもの,だけど

無駄なことをたくさんやらないと成果は出ない,とよく言われる。確かにそうだと思うが,無駄というのはあくまで「後から考えると無駄だった」というだけであって,研究を進める現在只今の姿勢としては常に意義のある(と思われる)方向を向いていなければならない。ましてやそれで自分の研究を正当化してはいけない。周囲から理解されないとすれば,それは結果が出ていないからというのもあるだろうが,研究の意義を十分に伝えられていないからというのも理由としてあるのではないか。いくらその研究が好きだといったって,意義を語ることができなければ理解も得られないだろう。研究が好きであることは,その研究に意味があることの十分条件でも必要条件でもない。研究者(を目指す人)には「それをやってなんになるのか」という問いを嫌う人が割といるように思うが,それに答えることができなければその研究をする意味はないのではないか。それともこれは浅はかな考えか。
もっとも,研究の意義を,十分に伝わる言葉をもって語ったとしても,伝えた相手にそれを受け入れる素地がなければどうしようもない(まあこれも大きいだろうなあ)。私は研究の道には進まないけれども,そういう素地を持った人間でありたいと思う。