「歩いても 歩いても」

歩いても 歩いても」(←「日本語」から入ると音が出ます)。シネカノン有楽町1丁目にて。有楽町のビックカメラの上に映画館があるとは知らなかった。
親元をしばらく離れていると,共通の話題を見つけるのが難しくなる。かといって昔の話をしてもしょうがない。私ももうすでに感じているところがあって,この阿部寛の役まわりというのがどこか身につまされる。しかも人というのは一緒に住んでいると,なにかそこに通底する価値観がうまれ,良くも悪くも(凝り)固まる。それでいて,たとえ実の子であっても,そこから多少離れて暮らしていると考えも変わってくる。帰省してその小さなギャップを感じることはときどきある。
いっぽう私は幼い頃に父親を亡くしたので,その意味では樹木希林が祖母と重なる(父は長男だった)。父の死についてあそこまで何度も言うことはなかったが,私の小さい頃は「死ぬ」ということばにかなり敏感な家族だったことを思い出した。
そういうわけで,自分の家族を2通りに投影してみた。それにしても家族ならではの会話をよく再現したものだと思う。十年一日のごとく同じ話をする祖母。それは他人にはまったくどうだっていいことだったりする。そういう「語り草」をところどころに含みながら,雑多なものがまさに塵が積もるようにしてできているのが家族である。過去の集積について,大人たちがみな,わだかまりを抱えつつも発散しきれないようすを見ていると胸の奥のほうが痛くなるようで,最初から最後まで揺さぶられっぱなしだった。全体的な感想としてはやはり

家族を賛美する映画が主流になっているなかで、ここまで家族の理不尽さ、わけのわからなさを描いた作品はめずらしく、なにか強烈なインパクトがあった。

2008-06-29 - 空中キャンプ

という「空中キャンプ」さんの評がそのままあてはまる感じだった。とくに樹木希林のぶきみさが印象的で,わりと「おばあちゃん子」だった私は,もしああいう感じの祖母だったらどんな子どもに育っただろうと考えてしまった。
子役がよかった。脚本もなかなかのもので,たとえば姉夫婦の娘が「大きくなったね」と言われて,うれしそうに「夏休みに1.5センチのびた!」。出前のお寿司やさんにも言われると,また得意げに「夏休みに1.5センチ!」と言うところ。そうそう子どもってこんなふうだよね,とうなってしまった。それにしても,学生が観に行くような映画じゃないなあこれ。